限界を決めて生きる

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私は学生時代バリバリ部活に命をかけて生きていたので、
努力は絶対にすべきだし、限界まで頑張るべき。という努力至上主義的な
考えを持っていました。

でもそれって違うかもしれないと気づかせてくれたのがうちの妹です。

大学生になって母から聞いたことですが、実は妹、高校生の時に母にこんな宣言をしたのだそう
「私はSakami (姉/私)みたいにあんなに勉強したくないし、そこそこ勉強していけるところに行きたい。」

当時朝から晩まで学校と塾で平日も土日も無く勉強していた私をみて、自分はああはなりたくないと思って母に告げたのだと思います。もしかしたら、このまま何も言わないと自分も私みたいになると思ったのかも。笑
まあうちの母なので、「どうぞどうぞ好きなように。」という感じだったそうですが、
このエピソードを聞いた私は衝撃を受け、「うちの妹カッコイイ」と思いました。(また家族自慢)
なんとなく勉強するとかなんとなく勉強しないというのは普通だけど、勉強を限界まではしないということを決めて親に宣言する。って、凄いと思う。

高校生の時の私は確かに勉強を頑張ろうと思っていたし、なるべく上を目指そうと思って努力していました。それはそれでいいのだと思いますが、私は頑張ることを自分で決めたわけではなかった。高校を選ぶ時に勉強か部活かの選択を迫られ、大学に行くなら勉強ができる高校をと思って進学校を選び、入学してからは周りも自分も勉強モードになったのでとにかく模試で上に行くために頑張りました。でもその時の私を振り返ってみると、努力すべきと思ったから努力していただけで、自分で自分の人生を決めているとは言えなかったのではないかと思います。つまり、あの時私は自分が選んだ道を突き進んでいた気になっていたけど、実は自分の中にある根拠のない努力至上主義に従って流れに任せて生きていただけなのかもしれないと思います。

一方妹・・・ここまでしか頑張らないという自分の限界を決めたうちの妹。
自分の限界を決める。というと、なんとなくダメなような気がしますが、流れに任せて努力している私よりも、自分で考えて限界を決めた妹のほうが主体的な生き方をしていたのではないかと思うのです。

人生の目的は、「努力すること」ではなく、「幸せになること」であるはず。だったら、自分の生き方を自分で決めた妹のほうが、よりよい生き方をしていたのではないかと思います。

また、ちょっと話は変わりますが、自分の限界を決めて目標設定したほうが現実を見据えて一歩一歩確実に前に進みやすいのかもしれないとも思います。
私はいつも100歩前の目標を設定してしまうから、そこに辿りつくまでの道のりが見えにくくて、「とにかく頑張ろう」と思いがち。努力の方向も道筋も決めずに「とにかく限界まで頑張ろう」というのは、結局は努力することとか自分の頭で考えることを放棄することなのかもしれないと思いました。

ちなみに、妹のために言っておくと、母に宣言をしてから妹は遊びまくって適当に大学に行ったのではなく、自分の中で最良と思う進路を決めてそれに向かって今も頑張っています。限界を決めることは必ずしも自分の可能性を狭めることにはならないのかもしれない。流れに任せずに自分で決めた限界なら、限界を決めて生きることの意味も大きいのかもしれないと思いました。

と、いつになくふわっとした記事ですが、忘れたくないことなので見える形で残しておきます。実はこのかっこいい妹、昨日誕生日で22歳になりました。
ゆーり、誕生日おめでとう!インドには来てくれないだろうから(笑)近いうち韓国旅行行こう!

 

さかみ

 








2 件のコメント

  • 妹さん。お誕生日おめでとう。salamiさん。最近、私も似たような考えに行き着いています。読みながら、そうそうと思いました。インド生活、楽しんでいるようですね。

    • 18さん、ありがとうございます。共感していただき、嬉しいです。これからも好き勝手書いてしまいますが、宜しくお願いします。

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